愛情?それとも…?親は壁紙が子どもじゃないと不自然なのか?
子どもがいると携帯、スマホの壁紙が子どもになるのは自然なのかしら?
子どもの写真ってかわいいですよね!
私だってもちろんかわいく思います。
撮るのも見るのも選ぶのも好きです。
しかし、私的に衝撃を受けることを言われたのです。
「え、待ち受け子どもの写メじゃないの?なんで?嫌いなの?」
え、逆に子持ちはみんな子供の写真なの?
え、なになに?
子どもの写真じゃないとダメなの?
言われた直後は「こいつ何言ってんだ?」状態で反論できませんでしたが、今になってなんだかモヤッとしています。
子どもがいたら全てを子どもにしなければいけない?
いやいや、そんなの私には無理だから(;´・ω・)
それができる親も世の中たくさんいるだろうし、幸せなことかもしんないけど。
私には到底できないのですよ(´・ω・`)
子どもの前ではあまり聴きませんが、好きな音楽のジャンルはいわゆる「ビジュアル系」だし。
お外で遊ぶより家で寝ていたい派だし。
今の好きなドラマは「逃げ恥」と「校閲ガール」だし。
好きな俳優さんは高橋一生くんだし。
好きなものを聴いたり見たりができないと私、ストレスが溜まってダメなんですよね;;
だから子どもに全身全霊をかけることができる人ってすご尊敬してるのですが。
だからと言って尊敬に値する人たちの内、一体どれだけの人が待ち受けで子どもの写真を使っているのでしょう?
たったそれだけの事で「子どもが嫌いなのか?」と聞かれた事がとても腹立たしく思ってしまうのです。
「好き」は1種類だけじゃないだろう!
子どもへの「好き」と他に対する「好き」を一緒くたにしないでいただきたい!!
と心の底から思ってしまうので、なんだか大人げないのですが全く納得がいかないのです。
「目に見えるもの」で表現する愛情はどちらかというと「外界へ向けての愛情表現」なのではないかと思うのです。
例えば、どの家にもある「幸せ」をわざわざ口にして周囲に羨ましく思ってもらいたい。とか。
例えば、子どもの写真を持ち歩いては「かわいい子ね」と言ってほしい。みたいな。
目に見えるものや聞こえるもので表現する人は、同じく目や耳で愛情を感じられないと嫌なのかなって勝手に思いました。
総括 待ち受けは好きなものでいい!
結局はこういう答えにしか私はたどりつけないのですが。
子どもがいるからって強制的に写メにしなくていいし、紛失した時に中のデータ心配するくらいなら子どもの写真はいれなくてもいいかなとも思うし。
好きな気持ちは自分と相手にだけわかればそれでいいと思いました。
っていうか、これ書きながら思ったんだけど。
「そんな風にしか考えられない人」や、「自分の物差しでしか物事を量れない人」なのかな?
私もそこそこ偏った人間ですが、さすがに相手に失礼な事は言わないし勝手な事はわないのが普通だと思うのですが…。
そういう人に当たったな、と思うことにした方がよさそうですね(;^_^A
今日は祝日です☆彡
お仕事人は行ってらっしゃい、寝る人はおやすみなさい!!
因みに私は少し仮眠してきまーす(つ∀-)オヤスミー