言葉ってスゴイぞ!言葉の意味、捉え方で変わる人生観
「金スマ」で観た言葉をテーマにした内容がスゴすぎる!
11月25日の金スマ、観ましたか?
「言葉」をテーマとして永六輔さんとゴルゴ松本さんの特集を組んでいました。
前の週で古舘伊知郎さんが最後に話していた「人は2度死ぬ」という言葉が反響を呼んだそうですが、この言葉は永六輔さんの言葉だそうです。
古舘さんがご自身の人生でお姉様や先輩を亡くされて、ご両親を見送った経験の中で感銘を受けた言葉なんだそうです。
永六輔さんの著書「大往生」に載っているそうです。
おおぅ、3冊も出ていた∑(゚Д゚)
「人は2度死ぬ」
1度目に人が死ぬときは肉体が潰えたとき、2度目は自分を覚えている人間がいなくなったとき。
この言葉に似たようなものを昔どこかで見たことがあるので、だいぶ有名でたくさんの人に影響をら与えたのかもしれませんね。
亡き人でも大切に想っていれば共に生きていける、そういう意味の言葉だそうです。
この言葉を思い出すと私も大好きで、もういなくなってしまった彼らをずーっと覚えていたいと日頃が感じていたので、肯定されたような気持ちになります。
他にも色々とある中で私もある言葉に目からウロコ状態になったのです。
「死ぬって言うからおかしくなる、先に行くっていうだけなんだから」
この言葉にはなんだか度肝を抜かれた気持ちになりました。
性格上、生死について結構考えることがあるのですが、いつも「死ぬこと」「遺されること」ばかりを考えてそこで怖くなって考えるのをやめてしまうのです。
そんな私にとってこの言葉は「死」の向こう側を感じられるもののように思えました。
確かに「先に行く」と言われると自分の道標のようにも思えるし、待っていてくれるような気がして「怖い」と思うだけではなくなった気がしました。
なんて目からウロコ!
この言葉をり私なりに解釈すると、私が寿命を迎えるその日まで、私の愛した人たちは私と共に生きて、共に去ってくれるのです!!
なんて目からウロコ!(2回目)
こうやって自分なりの解釈で前向きになれたら生きることが恐怖ではなくなるのかもしれませんね。
親が先に逝くのは、先に死んでみせるため
病気や事故などの特例を除いて、大抵の人はきっと両親が先に亡くなりますよね。
死にゆくときに遺されたものに何が残せるのか。
それは死にゆく姿だと、永六輔さんの言葉であるようです。
親は何でも子供より先に経験します。
生まれることも、子供時代も青春時代も晩年期も、そして死期も。
その全てを子どもに見せるために先に行くんだそうです。
そんな立派に人生を終えることができたなら、大往生なのかもしれません。
ゴルゴ松本さんの解釈もスゴイんです!!
ゴルゴ松本さんが5年ほど前から少年院を講演会で回っていることをご存知でしょうか?
1年前にも金スマでゴルゴ松本さんの講演会を放送したそうですが、今回は少女を収監している少年院を訪問していました。
その講演会の中でゴルゴさんは「漢字に表れている女性」を伝えていました。
例えば、「始まり」は女が土台になっているとか。
好きや嫌いにも女がいるとか。
女性であるあなた達は大切な存在なんだと語りかけているようでした。
少年院で更生を目指している彼女たちに「更生」とは「更に生きる」ことだと教えていました。
この言葉に感銘を受けました。
人は生きて、生きて、更に生き続ける…「更生」し続けているのかもしれないと思いました。
「謝」という漢字は「言葉で射抜く」と書く
番組最後でゴルゴさんは特別講演をしていました。
その中で「感謝」と「謝罪」、まるで正反対の言葉なのに同じ漢字が使われている理由の話をしていました。
それは「言葉で相手の心を射抜く」と解釈できるとゴルゴさんは言っていました。
だから心に突き刺さるように伝えなければならないんだって熱く語っていました。
もう一つ、「一生懸命」は一つの生の中で心をもって命を縣ける」という解釈をしているとも言っていました。
「縣ける」には「繋ぐ」などの意味があるそうです。
つい声に出して「なるほど」と言ってしまうくらい、自分の中にストンと落ちてきました。
命を懸けるとは全てを投げ打つことだけど、「命を心で繋ぐ」なんてすごい解釈だなって。
優しい気持ちになる解釈だなって思いました。
なんだか人生観が少し変わった気がしました、単純ですが(笑)
観たすぐ後に書いてるので、乱文かと思うのですが、この興奮や気持ちをすぐに書いたかったのでした!
最後まで読んでくださった方、いたらありがとうございましたm(_ _)m