29歳初日。生きる意味を考えてみた
こんにちは、どうも私です。
29歳になりました。
何もせずとも時は過ぎていきます。
それを無意味に思ったので、まずは生きる意味を考えてみようかと。
実際のところ、生きている価値や意味とはなんなんだろうか。
子孫を残すこと、と言われたらもう残してるから終わっています。
誰かに求められていること、と言われたらすでに望みはないので死亡フラグがたちました。
社会に貢献、してないし働いてないから。
考えてみると自分にしかできないことなんてほぼ無くて。
有名人じゃない限り、この人じゃなきゃ!なんてことあまりない気がして。
正直なところ、自分の子どもたちの母親であること以外は何もないんじゃないかと。
でももし、今私が息絶えたとしても子どもたちは成長するし、主婦業なんてやろうと思えば誰だってできることだし。
ほら、あまり私の存在価値を感じないでしょ?
世界の歯車にもなってない自分はただ息をして二酸化炭素を増やしていく生き物なんじゃないかと思ってしまうわけです。
こんなに何もない人間で生きてる意味があるのでしょうか?
他にたくさん生きていく価値のある人がいるはずなのに、なんでその人たちと同じ時間軸で自分も生きているのか、申し訳なくなってきます。
だからと言って自分で息絶えるのは怖いし、痛いし嫌だし。
正直、意味なくても子どものこと見てたいので一応生きてはいたいのです。
生きる意味とは何なのか。
生きる価値とは何なのか。
死にゆくために生まれたのはなぜなのか。
なんて考え出してどんどん深みにハマって抜け出せなくなってすでに3時間が経とうとしています(;´・ω・)
毎日寝るときに同じようなことを考えてしまいます。
冷静にサラッと思考を停止できればいいのですが、日によって恐怖に慄いて眠れなくなったりします。
自分が絶えたらどこへ向かうのか、遺される周囲はどうなるのか、無になるとはどんな感じなのか。
恐怖。
最近ライフスタイルで「最小限で生きる」とか「シンプルライフ」とかそんなことを特集されることも増えて、いらんものを削ぎ落としたら何が残るのかを考えても怖くなるのです(´;ω;`)
どうしてこんなことばかり考えるようになったのかもついでに考えてみたんですが。
昔から誕生日を迎えても祝われないことが普通なので、嬉しさよりも残りの人生を考えることの方が多くなりまして。
歳をとる=死に近づく
小さい頃から誕生日をそう捉えるようになりました。
明日死ぬかも、とか来年の誕生日は無事に迎えられるのか、とか本当に小さい頃から考えていたのを覚えているので、もう一生治らない気がしました。
絶望です( ´д`ll)
生死に敏感なんですね、単純に。
誕生日になんてブログ書いてんだろう、私(笑)
もっと楽しいこと書けたらいいんですが、残念なことに楽しいことが何一つない誕生日を迎えたので仕方がない(тωт。`)
新年早々、鬱々としてすみませんでした💧
ではまた次回!
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